46歳で癌と診断される・・・。

ホームページにお越しの皆さま、初めまして。ジュンと申します。

2024年7月16日、滋賀医大にて「滑膜肉腫(かつまくにくしゅ)」と診断されました。

これは非常に稀な病気で50万人に1人の割合で発症する癌の一種です。

しかもこれは肺に転移する事が多いのですが、この時点で既に肺に転移しており、大量の小さい癌が肺に出来ている状態でした。つまりステージ4というやつです。

診断を受けた当時は46歳。現在は47歳。男性。既婚。子供は4人。基本的にアメリカ在住(フロリダ州)。
職業は主にレストランのオーナーシェフ。

 

本日、このホームページを起ち上げた日(2025年1月16日)から抗がん剤治療が始まります。
診断から半年経っての本格的な治療です。

その記録、経過を残すためにホームページを作成致しました。

このページを見つけた方で、同じ・もしくは似た様な症状でお悩みの方や、滑膜肉腫の研究をしておられる方などのお役に立てれば幸いです。

(故・ラガーマン平尾誠二に憧れて髭を生やした時の写真)

診断に至った経緯

場所は右足、内側のくるぶし付近です。診断された時点で既に腫れはかなり大きくなっていましたが、色んな事が重なったのと、抗がん剤ではなく民間療法や免疫療法で何とかならないか試していたので標準治療を受けるまでに時間がかかりました。

ちなみに腫れそのものは診断を受ける1年ほど前からありましたが、当時は全く痛みが無かったのであまり気にしていなかったのです。私は当時、仕事の合間にブラジリアン柔術を習っていたので、きっとぶつけて腫れて水でも溜まっているのだろう、そんな感覚でした。氷で冷やせば良いか・・・と。

 

しかし段々と腫れが大きくなるので少し気にしていたところ、柔術の同僚からも背中を押され、それで病院に検査に行きました。検査をしたのはアメリカの病院です。CTスキャン、MRI、レントゲン、触診。全てやりましたが何処に行ってもドクターからは「何が原因か分からない」と言われる始末。

気にはなれど待ったく痛みが無いので「まぁ良いか」で放置する私。

そんな状態でしたが白内障の手術をしたくて帰国した日本で状況が一変することになりました。

(ちなみにこれは2024年3月頃の画像です。)

現在の画像

これは2025年1月16日の画像です。足の腫れが右足全体に広がっています。パンパンに浮腫んでいる様に見えますが、これ、中はほとんど「血管」なのです。

 

滑膜肉腫のある部位を超音波検査すると分かるのですが、凄まじい数の血管が通っているのを確認できます。ですので怪我には十分気を付ける必要があります。血が止まらなくなる恐れがありますので。

柔術は一旦辞めておいて正解でした。畳の上が血だらけになっていたかもしれませんしね。(汗)

 

ところで、足の色の違いや肌のひび割れについてですが、これは日本で行った放射線治療による影響です。

通常、放射線治療は抗がん剤をやった後に行うのですが、当時は抗がん剤治療を受けられる時間も無かったですし、何とか病院には通えるのでそれで受けられるのなら・・・という事で無理やり放射線治療にしてもらった形です。

とはいえ予定回数に達する前に肌が悲鳴をあげて途中棄権致しました。足の裏の皮がめくれて歩行困難になってしまったのです。肌もドス黒くなり、見た目的にも辛い結果となりました。

(スネ付近の赤い点は虫刺されを掻いた跡です。)

アメリカの入院部屋。と、少し雑談。

 

部屋は個室です。キレイな方なのではないでしょうか?

5階ですので窓からの景色も悪くないです。息抜きにはちょうど良いですね。抗がん剤治療をすると一時的に白血球の数が減少しますし、そもそも個室じゃなきゃ駄目なのでしょうね。そして基本的にこの病院は癌患者さんだけなので全員が個室です。

とはいえ日本みたいに長く入院するのではなく、抗がん剤を注入している期間(4‐5日)だけが入院で、あとは自宅療養となります。

感染症の観点からすると不安はありますが、通いで通勤している医師や看護婦からも感染のリスクはあるので私は自宅療養の方が良いと感じています。

私の父は骨髄異形成症候群から白血病になり3年間闘病生活の末に亡くなりました。その間ほとんど自宅に帰れず、抗がん剤の悪影響で他の臓器がやられ、結果的に多臓器不全という形でこの世を去りました。

抗がん剤に対する抵抗感が強かったのもこの為です。

できるなら受けたくなかったので、様々な民間療法やサプリメントも試しました。でもどれもこれも時間とお金を無駄にするばかり・・・。

とはいえ試してみないと分からないですし、中にはこれが効いたという方もいるでしょうから、そう思うと試さずにはいられない。おそらく世界中の癌患者さんが同じような心境だと思います。そして誰もその答えを言えない。同じ癌でも皆それぞれ違うからです。しかし、とにかく家族も職場のみんなも友人達も、みんなが私を応援してくれているのだから治さなきゃ!という気持ちでいっぱいなのは確かです。


確実に言える事。私たちの未来に向けて。

これは私が47歳を迎えた際の誕生日会&バーベキューをした際に撮った写真です。ウチの子が4人。それと友人たちの子達。こうして休日も家族ぐるみでお付き合いをさせて頂いています。幸せ者だと思います。

「癌」と宣告されて1番最初に浮かんだのが家族や従業員の事でした。自分の事は二の次。たぶん家庭やビジネスをお持ちの方なら皆そうではないでしょうか?

私は自分一人ならそこまで死を恐れていません。もうかなり色んな事を体験してきましたし、常に「いつ死ぬか分からないのだから!」という覚悟を持って生きてきたから。でも今は家族や従業員たちのためにそれは言えない。彼らのために生きなきゃいけない。生きるだけじゃなくて完全復活しないといけない。そう決めています。だから不安はあれど恐怖はありません。それと、私たちはきっとこれを乗り越えれば更に強く優しい人間へと成長できると思っています。「大丈夫だよ、頑張って!」という言葉を言ったとしても、今より格段に説得力があるでしょう。だから私はそうなる予定でいますし、これはそのためのステップ。きっと誰もが癌によって落ち込む事でしょう。でも自分で自分を奮い立たせてください。これは自分の成長の良い機会と思って乗り越えましょう!少なくとも、私はあなたを心から応援します!